八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.205


【掲載:2023/01/22(日)】

音楽旅歩き 第205回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

年も改まりました。「音楽はメッセージ」だ!と改めて思う年頭です

 年も改まりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
石垣島に平安が続きますように。2年ほど「コロナ禍」、そして世の流れが気になり、島に訪れることができないでいました。
最近では私の知人の何人かは島に行ったり、これから訪島の計画を立てているようです。
「島の良さをたっぷりと味わってきて下さい」とのメッセージを送るのですが、訪れていない私としては少し焦りも感じたりして機会を探ります。
多分今夏に行くことになるかと思っています。一緒に行きたいとのメンバーもいて、そのスケジュールを決め始めています。決まればまた報告したいですね。

 さて、そんな中で日々私の頭の中は、この(日本)文化の国での「音楽事情」や「受容」について。
【「音楽」は不可欠である!】というのは全ての人々と共有できる思考であると、いうことで良いですよね。
それを前提として話を進めます。いつの世も、歌い、踊っている人類です。
では、その要因は何でしょう。感動するから?自然に体が欲するから?答えにならない言葉が並びます。
感動って何でしょう?身体(心と肉体)が欲するとは何でしょう?
快(こころよ)さでしょうか。身体に鼓舞を起こさせるからでしょうか。一体感を感じたいからでしょうか。
これらであるならば、要因への一歩が始まる気がします。言うならば「私の思いと同じだ」という行動ですね。

 一見〈孤独〉な聴き方の代名詞となっている「クラシック音楽コンサート」。
ペンライトの光の流れでリズムを取るわけでなく、「大声でステージに向かって盛り上げる」わけでもなく。
おとなしく、静かに聴く。つまり「鑑賞」の世界。〈知的な聴き方〉ですね。
クラシック音楽は有っても無くてもいい環境音楽と思われている節があります。
確かに喫茶店や商業ビルの中はその環境音楽で溢れています。
コンサートでは「寝に行きます」と公言する人もいます。何やらうんちくを並べ立てて悦に入る人もいらっしゃる。
批評家風に苦言を言うことに楽しみを覚えている方もいらっしゃる。
とにかく、一般的なコンサート(主に若者に受けているショー的要素の強いもの)では味わえない「静寂」の中での、ある意味〈不気味〉な空間音響ではあります。
クラシック音楽を生業としている私も時々、「〈特殊〉な世界だなぁ」なんて思います。
まぁ、「その世界(特殊な空間)だから良いんですよ」と自身の心底から叫ぶ声も聞こえてはくるのですが・・・・・・。

 何故音楽を聴こうとするのでしょう?私の答えはこうです。「メッセージを聴きに行く」。
メッセージ無しの演奏。その気楽さは眠りを誘います。それは心地良い音響に安らぐことですね。
メッセージ有りの演奏。それは強度の差はあれ興奮を生みます。共感の感動を味わえます。
〈思いは同じ〉〈代弁している〉〈共感が更に脹らむ〉、【音楽はメッセージ】だとの私の答えです。
音楽のジャンルは違えど、その魅力、人の身体(心と肉体)を惹きつける力は人間の最強のアイテムです。





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