八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.144


【掲載:2019/4/18(木曜日)】

やいま千思万想(第144回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

名訳を得ての演奏、それを私の大きな軌跡とする

  人の人生って〈一筋の道〉を歩き続けるというイメージが私にはあります。
いく筋もある道から選んで歩く道。
その道って自分で選んでいるかのように見えるが、後から考えると、何者かが用意をしていたのかもしれないと思う事があります。皆さんにはありませんか?
「どうして、あの時そう決めたのだろうか」と。

 ここに真っ直ぐに延びた一筋の道があったとします。
その道はどこに行き着くのかわからない。
しかし、人は目的をもって、この道の先には〈思いが遂げられる〉場所に行き着く、そう到達できると信じて、あるいは迷いながらも何かに促(うなが)され、
努めて人は歩き始め歩を進めます。
たとえ途中で幾つもの困難があったとしても、また、信じて来た道が分かれを見せて選択を迫られようとも、
ひたすら真っ直ぐに歩もうとする。そんなイメージが私の人生観です。

 音楽一筋に進んできた道。その道で多くの方々との出会いがありました。
そしてそれは全て私にとって血となり肉となっていると思います。
温かい思いに涙を流した感謝、そして反面教師的と言えば言い過ぎになるかもしれないのですが、その懐疑的な思いから確かに人生にとって何が大切かを強い身の感覚として学び取っていたように思います。
道を歩む、つまり人生を歩む不思議な道程(みちのり)。
歩き始めは勇気が必要です。そして途中での多くの分かれ道。
その選択時にあって〈導かれての歩み〉〈識ることだった〉と感じた時、それは安堵とともに大きなエネルギーともなりました。

 このコラムを書いている日から二週間後、私にとって大きな節目となるだろう演奏会が催(もよお)されます。
G.F.ヘンデルの【メサイア】。全曲演奏が3時間にも及ぶという大曲です。
これまでにも幾度も演奏し、一度は封印した(頻繁に演奏することを止めた状態)曲なのですが、
今回私が期待していた新しい日本語訳を得たことでその封印を解きました。(演奏は原曲の英語に依ります)
その歌詞の訳をしてくだったのが私が尊敬する方。
このコラム、No.114で書いた「畏敬の人の背中を見て生きる」の中でご紹介した田川建三氏(『新約聖書 訳と註』(全7巻8冊)が第71回毎日出版文化賞を受賞)です。
氏が私たちのためにその意味深い仕事をしてくださったと言って良いでしょう。
氏から送られてきた幾つかの文章の中に「序説」があるのですが、
そこに「この対訳とその註を書きたいと思った理由」(その理由は必見です。対訳は演奏会当日に聴衆の皆さんに配付する予定)と、私たちの団のためにこの仕事をした、とのことが述べられています。
英語による原文テキストの背景が隅々まで解き明かされての訳。
これまで演奏してきた曲解釈の核心を見た思いです。
今回の演奏、私が歩んできた道での大きな軌跡となるのではと予感しています。
言葉と音楽の関係がどのように表現されるのか。
名曲の【メサイア】で一つの音楽としての在り方を示したいと思っています。

 



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