八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.176


【掲載:2021/06/13(日)】

音楽旅歩き 第176回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

全てを見渡そうとする私の原点は演奏会でのあるシーン

 緊張して「入り」を待っています。
いつもの通りにすれば良い。しかし今日は特別に緊張している。
使う楽器は借りたもの。音程を合わせる時いつもと異なる。皮の張りが、音色が違う。より緊張する。
音楽は佳境に入り、クライマックス!いよいよ「入り」だ!ノリノリのリズムで入る。
何か嫌なものを感じたが乗っているリズムを崩すわけにはいかない。そして最後の最強の一打。
「バシッ!」という音と共に皮が破れた!驚く私。しかし、音楽は止まらない。止められない。
2台で一組の楽器のティンパニー。一つが破れたならばもう一つを叩けば良い。でも破れたほうの音はもう鳴らない。
ならば、もう一つの音をタイミング良く奏すれば良いではないか。落ち着いていたのか、もうパニック状態であったのか判らないが、演奏が終われば凄い拍手。
指揮の先生はこちらを見て微笑んでいる。

 これ、小学校の5年生か、6年生のときの体験談。
後日談があって、その出番が終わった後の二つの出来事が脳裏に刻まれている。
その一つ。破れた皮の楽器は借り物。
「謝らなければ!」、冷や汗が出ている。楽器を借りた(多分、運搬の都合だったように思います)学校の先生と同学年の奏者がやって来た時、
どうしたらよいのか判らず、ひたすら謝る私。
でも同情され、褒められたよう。その時の安堵感といったら・・・・・・。記憶はそのあたりで靄(もや)がかかる。

 もう一つの事。それは幾日か経った練習時でのこと。
指揮の先生から聞いた話では、あの時の私の処理の仕方、そしてなによりもリズムの良さを聞いていた他の学校の先生方から
(もしかしたら何某〔なにがし〕かの審査員だったかもしれません)特別に褒められていた、とのこと。
指揮の先生は普段あまり笑顔をみせなかった印象なのですが、その時の何とも言えない温かい笑顔が今も忘れる事ができません。
この思い出、ことある毎に思い出し、また夢にまで現れます。
私の貴重な体験であると同時に、今以て舞台に上がる「お守り」になっています。何事が起こるかも知れない「本番(演奏会)」。
備えているだけで対処できるものではなく、とっさの行動がどのようにその場を繕うのか。実力とは?と実体験で教えて頂いたと思っています。
私の原点ですね。しかし、夢ではいつもホッとしている私ではありません。

 もう何者かに追われ、追いかけ、焦り、遅れ、ステージまで上がれず、いつも孤独に何かに向かって走り続け、闘っている、そんな私が現れます。
70歳を越え、今月また一つ年を取ります(72歳となります)。
想い出に浸っている時間などまだない私ですが、今日を迎えるために、明日に向かうために、未来に生きるために、数え切れない「想い出」となっている貴重な体験、出来事。
その中でこのシーンだけが繰り返し現れます。
演奏している私、仲間、先生方、聴衆となっていた全ての人、裏方として準備を整えて下さっていたスタッフ。
全てを見渡そうとする私の原点です。





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