八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.204


【掲載:2022/12/25(日)】

音楽旅歩き 第204回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

音楽は「時間芸術」 時間を厳守することと感動の演奏とは価値観が異なる

 今月の18日(日)の定期演奏会が終わり、少しホッとした時間が流れています。
今月は25にもコンサートがあり、それを終えると今年の演奏会全てを終えた、ということになります。
「コロナ禍」が続く中にあって、よく中止もせずに活動できたことに感謝の気持ちで一杯です。
さすがにこの時期、全国でもこれまでになく感染が拡がり、私たちのメンバーもこの一週間内に陽性者が出てしまいました。
もう防ぎようのない環境、誰が誰によって感染したか?させたか?もう追いかけることができない状態です。
我がメンバー、意識が高かっただろうと思うのですが、その対処は適正に行われたとの報告を受けています。
症状が軽く、後遺症も残さないで回復できることを祈る毎日です。

 12月も終わりに近づいています。このコラムも今年最後になりました。できましたら来年も書きたいと思っていますのでお読み頂ければ幸いです。
さて、今回は「時間」のことを考えてみました。コンサートを開催すれば時折同じ感想といいますか、お叱りをアンケートに書かれていたりします。
それが演奏内容の事だと真摯にしっかりと受けとめたいと思っているのですが、そのお叱りとも受け取れる事とは「時間を守りなさい」ということなんですね。
音楽家というものは「時間芸術に携わっている者」との意識を強くもって仕事をしている職業です。
「時間を守って」という方が良く例に出すことに「欧米諸国ではきっちと守っているのに!」と仰る。
しかし、私が経験したことで言うならば「一度たりともそのような要請はなかった」です。
それどころか地方によれば10分や15分平気で始まりを遅らせたりします。
その原因が演奏者を気遣ってのことや裏方の準備が整っていなかったり、聴衆の入場状態に合わせてといったことでの対処です。
「なんと人間的」かと私は感心することが多かったです。「時間を守れ」は個人の性格での要求ではないかと思うに至りました。

 時間に束縛されている「音楽」は私には考えられません。
「遠方から来ているので、演奏が長引くと帰られなくなります」と先にお申し出があるときには、
なんとかそれに合わせるように演奏時間やステージ間隔を短くすることをします。
もちろん慌てることなく、聴衆にゆったりと鑑賞して頂くのが最優先としながらの調整。
それでも間に合わなければマイクで以て謝りのコメントさえしてきました。

 時間は不思議です。ある人には短く感じ、またある人には長く感じる。
音楽とはその不思議な時間の要素を巧みに演出することでもあります。1分が60秒ぴったりとはいかないのですね。
いや、現代の音楽はそれをしっかりとできる奏者や指揮者が望まれているのかもしれません。
聴衆の中には時間に追われている方もいらっしゃる。
また録音や録画、もしそれがライブの放映のステージだと時間内に納める手腕が求められる。
私の知る、1分が90秒にも30秒とも感じる演奏はもう遠くなってしまったのかもしれないですね・・・・・・。





戻る戻る ホームホーム 次へ次へ