八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.206


【掲載:2023/02/05(日)】

音楽旅歩き 第206回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

静寂の中に思考を深め 己を見つめ、人の哀れを感じる

 石垣島に今夏行く計画を立て始めました。逸る気持ちもあればまだまだ慎重にという気持ちもある、というのが本音でしょう。
石垣島が日本にとってとても大事だと思ってもらう場所であって欲しい。
文化的にも、自然環境的にも。人が集まらなければ生活は豊かにならない、というのも確かでしょう。
いわゆる経済的にはですね。世は「インフレ(インフレーション)」「デフレ(デフレーション)」との言葉が飛び交い、人々に謎の不安を掻き立たせる。
一転、経済の根本を見直す新しい経済学を説く人も現れる。
しかし、「・・主義」を変えるにはとんでもなく大きな力が必要。人々が新しい思想・学説を信じて変化させていくことはそう簡単なことではないでしょう。
しばし、時は必要かと思います。

 石垣島がどの国からも慕われ、信頼され、人間の息吹を再生させてくれる島としての存在で有りますように。世界の「宝」の一つでありますように。
こうして島を慕ってコラムを書く人間にも、疲れた都会から、世間という息詰まる日々から、自由の未来を信じる気持ちで「救い」が得られ続けることができますように。
いよいよ人生の終焉が見え始めた頃にあって、今も、いつまでも「最後の一日」が幸福で、後悔無く、楽しみ抜いた日であったと言い切れる人生を願います。
「コロナ禍」が続いています。ニュースになることは以前ほどではなくなってしまいましたが、現実は悲惨な実情が個人に降りかかっていることに変わりありません。
人々が静かにこの世を直視し、考え、人間の営みが見えていきますように。

 本土の新幹線、各鉄道の駅案内や車内案内の〈あの騒音〉に「思考止め」を感じる危惧を以前からずっと抱いてきました。
乗客はマスク着用(客観的にみれば異様な空間です)、そして喋りも控えているといった本当に「良い子」の集団なのですが、
その異様な空間に爆音の案内音声、そして何度も同じ言葉を繰り返す「注意」が溢れます。なんと「洗練さが無し」で、人を信じることのできない愚行か。
あの爆音、人間の思考を止めるために行っているとしか私には思えません。
ある時、急にある詩が浮かびました。愛読していた詩です。時折舞い下りてきて私の〈騒いでる気持ち〉を落ち着かせてくれます。
読者の方には唐突かもしれませんが、その詩を綴ります(本土の詩ですが・・・・・・)。 三好達治の詩、〔甃〔いし〕のうへ〕。文語体ですから読みづらく、あるいは今は使われることのない漢字もあります。
しかし、その漢字だからこその情感が流れていますし、意味も深まります。静寂の中に己を観る世界です。 

 『あわれ花びらながれ/をみなごに花びらながれ/をみなごしめやかに語らひあゆみ/うららかの跫音(あしおと)空にながれ/をりふしに瞳をあげて/翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり/み寺の甍(いらか)みどりにうるほい/廂々(ひさしひさし)に/風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば/ひとりなる/ わが身の影をあゆまする甃〔いし〕のうえ 』





戻る戻る ホームホーム 次へ次へ