第五章「第4回教会コンサート」の感想

音楽監督・常任指揮者

当間修一 Toma Shuichi

2009年12月5日(土)に行われた第4回教会コンサート。
会場は昨年に引き続き、名古屋市中村区の「カトリック五反城教会」。

(写真は阿部剛)

沢山のお客様でした。感謝です。
教会コンサートは教会音楽を主として聴いて頂きたいとの私の思いから始まりました。プログラムの中には一見してそのジャンルではない音楽と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、教会に相応しい「祈り」、あるいは日本文化に貢献する曲、として選曲しています。

プログラムはオルガン(霞真実子さん)の前奏曲に続いて、ビクトリアの「Motet & Missa Quam pulchri sunt」で始めました。
教会音楽としての様式感も上手く出せるようになってきた合唱団です、これまで少し不安定だったテナーも歌として流れがスムーズになりフレーズの終止もうまくまとめます。バスは低音にもう少し響きが欲しいのですがまずまずの倍音を出してくれており、男声の響きの土台はしっかり築いていました。
女声は全体に言えるのですが、歌としての表現もしなやかになり、また声の透明感と相まってうねりながらもキリッとしまった演奏になっていたように思います。ますます団における存在感を増していく心強い女性陣です。

と、全体の印象を書き、この後は個々の曲での課題点を書き残しておきますね。(お聴き頂いた方々のアンケートを全て読ませて頂いています。沢山のお褒めのお言葉、讃辞を頂きました。これから書くことは私が合唱団に課するものとご理解して頂き、更なる高みへの演奏を目指したいとの意志の現れだとしてお読み頂ければ嬉しいです)

さて、ビクトリアの好演と対照的にシュッツの演奏はまだまだ苦手な問題を露呈しました。
シュッツの「ドイツ・マニフィカト」は、極端に切り詰められ、凝縮された「シュッツ魂」のマリア賛歌です。ピンと張り詰めた精神の中で憩いと喜びと感謝の祈りを表現しなければなりません。声と精神の力強さが要求されます。力強さは声の維持に依ります。フォルテの維持、それは体だけの問題ではないのですね、体に要求出来るほどの強い意志が必要ということになります。
ハーモニーも堅固でなければなりません。各パートのバランス調整が課題です。

一転、プーランクの「クリスマスのための4つのモテット」は練習時から巧くいっていたように、良くハモリ、気持ちも入り、この曲が持つ抒情性も充分でした。合唱団員にとって「好きな曲」、あるいは「理解しやすい曲」だったようです。シュッツとプーランク、この演奏の差が今の合唱団の状況を端的に表しています。「気に入った曲」、「理解できる曲」ならば人の心に届く演奏ができるということです。練習課題が明確に見えるということですね。

今回はこの曲が「目玉曲」。
木下牧子 混声合唱とパイプオルガンのための「光はここに」
パイプオルガンと合唱の組み合わせはそうあるものではありません。
五反城教会にはオルガンがあります。是非とも合わせてみたいとの思いが強くありました。牧子さんの書法にも興味を持ちました。
オルガンのパイプと合唱団の距離が離れる、という条件の悪さの上にコンソールでの奏者は指揮する私を鏡でしか見ることができないというもっとも合わせにくいスタンスとなります。
そういった悪条件を課しての演奏となりました。私がオルガン弾きであったということが少しデメリットを軽減させたかもしれないのですが、状況を知っているだけに私にとっては怖さもひとしおだとも言えるわけで、なかなかのスリリング感覚の演奏となりました。
アンケートや聴いて頂いていた方々にはとても好感を持って頂けたようで、胸を撫で下ろしたしだいです。
オルガンと合唱とで、終曲、会場を大音響で充たしました。
全曲を通じて、合唱団に発音の課題を残したと思っているのでが、概ね明瞭な発音もあってテキストが伝えられたとのこと、この曲を紹介できたことを喜んでいます。

さて、メインの曲。
千原英喜 混声合唱のための「おらしょ」です。
(会場に千原英喜氏も同席しての演奏)
合唱団の成長を聴きたかったゆえの選曲でした。
そしてこのカクレキリシタンの曲ゆえに、もっとも相応しい「場」であると思われた「五反城教会」でした。
男声の響きの浅さや、アンサンブルの乱れ、女声と男声のバランスなど気になる点を残しているものの私の意図した音楽は作れたのではないかと思っています。
それは充分に合唱団の成長でした。
ソロの大役を果たしたテノールの川畑和也も良かったです。
団の中からソリストを出す。これは響きを統一できるという利点を持ちます。
また、ソロを支えるトゥッティの気概も確固(仲間が歌うわけです)となり協和を図ることができます。
確かな手応えを感じた演奏。創設時からの様々なシーンが浮かんできました。

合唱団、音の立ち上がりを整える課題が残ります。
そして音色を多色化することも。
楽しみが持てる課題です。
ただ、ここからは難しい問題となるのですが、もう一つの課題、合唱団員全員が如何にステージに立つ「楽しみ」を持つことができるかという問題が立ちはだかります。
「楽しむ」とは「ステージに立つ身としての責任」という関門を通らなければなりません。
「楽しむ」ためには音楽に集中できなければなりません。
集中するにはあらゆる角度から練習をしなければなりません。
練習を重ね、自信を持った「楽しみ」だからこそ良い演奏ができるわけです。
歌うメンバー全てが「楽しむ」からこそ聴いて頂いている方々にも楽しんで頂けるわけです。

団員一人一人、私にとってはかけがえのない仲間です。
年の差も、経験の差も超えてのかけがえのない仲間です。
その仲間達と楽しみを共にしたいと思うのです。
発声、アンサンブルの極意を伝えましょう。
一緒に音楽することの楽しさと驚愕を体験するために。
更なる高みへの道を続けます。

当間先生のホームページ
Toma's Home Page Abemaブログ