八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.236


【掲載:2023/04/13(木曜日)】

やいま千思万想(第236回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「ごまめの歯ぎしり」と言われようが自身の意見は述べたほうが良い

 「ごまめの歯ぎしり」、最初に聞いた時にはあまりよく意味が判りませんでした。
でも何か地団駄踏む感じのような気がしたのを覚えています。
地団駄と言えば、「石亀の地団駄(いしがめのじだんだ)」という類義語もありましたね。その言葉と関連していたのでしょう。
後で調べてハッキリとするのですが、知った上でその意味には「う〜ん、言い当ててるだろうが、ちょっと違うかも」でしたね。
「ごまめの歯ぎしり」とは「ただ力のない者が悔しがっているだけ」であって、
影響力や実力のない弱者が腹を立てていくら嘆いても、強者へはなんの痛手にもならない。
「どれほど騒ぎ立てても無駄である」との意味で使われる、と書かれています。
しかし、私が違和感を覚えたのはその現状を嘆いて悔しがっているだけの「はかない抵抗」の意味だけではなく、
「それはおかしい(不思議)でしょう?そうあってはダメでしょう!
変えていきましょうよ!」との思いがあっての強い言い方、意見です。
しかし相手は〈弱者の嘆き〉だけだ、と聴く。

 さて、ごまめとは何でしょう。
「ごまめの歯ぎしり」を漢字で表すと「鱓の歯ぎしり」。
「鱓」という漢字は「うつぼ」とも読まれるのですが、「ごまめ」と読みます。
「ごまめ」とは小さいカタクチイワシを素干しにしたもの。力(実力)のない者のたとえです。
因(ちな)みに、「石亀の地団駄」は「雁(がん)が飛べば石亀も地団駄」を略したことわざで、
雁が飛ぶのを見て石亀も飛ぼうとするが、石亀にできるのはせいぜい地団駄を踏むぐらいのこと、
「自分の力量を考慮せず他をまねても、限度がある」ことを意味します。

 もう一つ類義語があります。こちらの方がイメージし易いかもです。
「蟷螂の斧(とうろうのおの)」です。
「蟷螂」とは「カマキリ」のこと。
自分よりも大きな、例えば車のようなもの、相手にならないものに対して前足をあげて威嚇している様。
とてもじゃないけれど、無駄で可哀相になるほどの「はかない抵抗」。

 政治の成り行きに不安や危機感を持つ者のつぶやきがそう例えられ、無視され、踏みつけられます。
まぁ、滑稽にも映る「力関係」の図ではあります。
統一地方選挙も始まりました。
此処彼処(ここかしこ)に起こるいつもの図の中で投票が進められていきます。
どのような思いがあっても、とにかく棄権はやめましょう!
低い投票数では意見の多様性が反映されません。
「ごまめの歯ぎしり」であっても、「石亀の地団駄」、「蟷螂の斧(とうろうのおの)」と言われようがやはり意見を述べたほうが良いことは確かです。

 最後に、「雑魚(ざこ)の魚(とと)交(ま)じり」という諺(ことわざ)を。
雑魚が大きな魚の群れの中に交じっている。
大物の中に小者が交じっている。大勢の中に少数の者。
能力や身分が劣るとされる者が、優れた者とされる中に交じっている。
その図の中、それらが力を合わせればとんでもない力になって大勢の奢(おご)りを押さえ、調和へと。
その時を信じたいのですがね〜。





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