八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.238


【掲載:2023/05/11(木曜日)】

やいま千思万想(第238回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

誰もが「安全」を確信するための〈社会の仕組み〉を知り、身近な「政治」を目指す

 私達の暮らしって社会の仕組みを知ることから始まりますね。
その仕組みは厳格に教えられたり、何となく見様見真似(みようみまね)、意識せず身に付けさせられたりしたものです。
この国はおおよそ後者だと思うのですが、本来は必要不可欠な知識として学校教育で教えられるべきものでした。
日常の暮らしにとって政治は好むと好まざるとにかかわらずとても強く押し入ってきます。
政治に関心を持たずにいるということは「民主主義国」にとっては考えられないことです。
相手の話を聞く、自分の意見を述べる、これらは訓練のいること。
これらをスムーズに、誰にとっても身に付くようにするためにはやはり教育に依ることが一番効率的で、成果が得られることです。
我が国では残念ながらこの教育が社会的に根を張っては居ないので仕方ないのですが、
それが最近の社会状況にとって困ったことになっている、と私は思っているのですが如何でしょう?

 これまでにもこのコラムで書いているのですが、地球環境の問題、深く大きくなっている格差と、それに関わる性別(ジェンダー)の問題、
もうこれらは誰かに委ねる、私たちが選んだ代表らに任せているだけでなく、
住民一人一人の意見がしっかりと見える形で政策に反映されなくてはいっこうに解決の方向へと向きはしないと思うのですね。

 我が国ではこの30年程前から国政に無力感を持った人が多いと聞き及びます。
私自身も一時その思いに悩んだことがありますから実感できる傾向です。
しかし、最近憂鬱な気分から楽観的な方向に向かい始めているように思います。
向かう方向、対象を少し変えればそう悲観することもなさそうです。

 「ミュニシパリズム」(地方自治体municipalityが語源)という言葉を知りました。
一度聞いても聞き取れないちょっと覚えにくい言葉です。意味は「自治体主義」だそうです。
ヨーロッパはやはり人類の先輩だと思わせます。いち早く転換を摸索し始め、政策化を進めようとしています。
さて、この〈自治体主義〉、「民主主義」の骨幹となる「暮らし」と「社会ルール(通則)」の親密な関係を、
国という大きな枠からでなく、地方自治という密なる〈顔が見える〉関係の中から変えていこうというものです。
「ミュニシパリズム」、少し明るい光が見えてきたものと私は感じます。

 「民主主義」は選挙が要(かなめ)。国政では政治を担う内閣総理大臣・衆参両議院の議員を選び出します。
総理大臣は直接選挙に依ってはいませんが選挙の多数決の論理が働きます。
都道府県では知事を選び、地方自治では市長・区長・地方議員などが直接選ばれます。
「ミュニシパリズム」とは、地方自治を基盤とした、「暮らし」と「政策」をより実行可能な手法で関係構築する方法です。
国を動かすのは大変、でも我が住む街を動かすことは出来る。
徹底して住民の意見が反映される「自治体」を目指す。
誰もが「安全」を確信するための〈社会の仕組み〉を知り、身近な「政治」を目指す。
これは可能です!





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