八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.183


【掲載:2021/11/23(火)】

音楽旅歩き 第183回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

真実を知って、学び、自己を確立することの大事さ

  コンサートを開催するに当たって準備しなければならないことがあります。その中で厄介なことが「プログラム」作成です。
その内容は、曲目、出演者名とその紹介、そして曲毎の解説が主でしょう。
装丁(装訂)は豪華なものから薄いコピー紙のようなものまで多種多様です。聴衆はそれを参考にして演奏を楽しみます。
私のように長くコンサート活動を続けていると、これまでどれだけの「プログラム」を作成したことか。
指揮する私自身が書くことに意味があるとの思いから毎回原稿を書くようにしてきました。
ですから演奏会の数だけ「プログラム」が存在することになります。
曲解説を専門の方にお願いしたこともありますが、時折解釈が異なってしまうこともあり、いつしか棒を振る私自身が書くことになります。

 活動当初は書くことで「曲の背景を知って頂きたい」と強く思っていましたし、
また「どのような思いで指揮するか」「用いる楽譜の出版社や校訂問題について」を明示することは意義有ることですので、熱を入れて書いたものです。
しかし再演が重なると、特に、作曲者や作品については私自身の思いを〈新しく書く〉ことに重荷を感じることが多くなってきます。
作曲家に対する思い、尊敬する気持ちは変わらない。
しかし、データのように改めて重複させる必要がない原稿を書くのは、時間もその労力も多くのエネルギーを要します。
そのエネルギーを楽譜読みや練習に注ぎたい。その気持ちが書くことよりも強くなってきました。
私の「書く」ことに対する熱が少しでも下がったならば、それはもう「書き手になる資格がない」と思う私です。
ならば、「曲を知って頂きたい」との思いは変わらず強くあるわけですから「書く」ではなく、
「解説とそのための演奏」を採り入れての「コンサート」とすれば良いのではないかとの思いに至ります。
この方法は決して目新しくはなく、歴史的に見ても西洋・東洋にかかわらず古くから行われている方法です。
このコラムを書いている日、その前日の「マンスリー・コンサート」で早速採り入れました。
来て下さった方の中に、「よく理解でき、聴き方が変わった」との嬉しい意見もあったようです。

 私がなぜ、このような方法に至ったか?これには一冊の本の影響があります。
『「日本」ってどんな国 国際比較データで社会が見えてくる』本田由紀著〔ちくまプリマー新書〕です。
社会学者の著書なのですが、私は最近悩んでいる問題の糸口を掴んだようです。
本の内容の概要を書けば「日本は様々な分野で世界的には評価がとても低くなっている!」と。
気が付けば世界のランキングで急落下、最下位に近いものもある。
国際的な機関でのデータ(これは誰でも閲覧できます)を分析した結果がそう示している。
そしてその要因は「我が国の特殊な文化」に因るのだと。ちょっとショック。
ですが、私には納得できる結果。音楽の実践を通じて感じた事と同じでした。
「学ぶこと・優しく他を受け入れ・真実を追究する」これなのですね。





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