八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.185


【掲載:2022/1/08(土)】

音楽旅歩き 第185回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

「我」は「他」と共に。2022年も人と人とを結ぶ音楽を目指します

 このコラムを書いているのは12月30日。
ついに今年も明日一日を残すのみとなりました。
60歳を過ぎた辺りから身体が流石(さすが)に若い頃と比べて衰えを感じ始めていました。
二つの手術も経験しました。
それまでは風邪もひくことなく、病院のお世話になることもほとんどなく、無茶しどおしの日常生活。
ですから60歳以降、人生初めて尽くしの経験の連続となりました。
70歳を越えてからは身体を気遣いながらの毎日ですが、仕事の量は減るどころかむしろ増えている状態が続いているという生活です。

 音楽業であったことを心から感謝しています。
その世界だからこその体験や思考ができました。
指揮者としては作品を通じて「人間」と出会うことが出来ましたし、
そして世界を「我」としてだけでなく、人類全体を「俯瞰(ふかん)」して見渡せることに何よりの幸福感を味わって来ました。

 人類にはまたもや試練が訪れています。
「新型コロナウイルス」によって世界が繰り返し震撼(しんかん)し、
そして国と国との不信感が以前より増したかのように映され、
真偽の情報で人の心を分断させられ、
人間が互いに「不和」を願っているかのように「我」同士がどよめき合っている。

 70代前半の世代は微妙です。
戦後生まれで戦争の悲惨な光景を知らない。
真の民主主義としての確信を知らない(その割には「民主主義」を言われ続けてきた)。
好景気であった時代を知り、また経験している。
現在は世間を賑わせた事件(モリカケ問題等)によって分断が起こっているのを知っている。
「税金」がどのように使われているのか、選挙の投票率が低く、若者は国政に関心がないかのよう。
温和しい国民。命より経済を重んじる風潮になびいているかのように見える。
この世界の国々の中でどのような姿勢・立場を目指しているのかが明確でない。
「強国」とは何か。「人権」とは何か。
言葉だけが飛び交い「実」が問われない。誰が責任者なのかが見えない。
この国が永遠に培ってきたものとは、培っていこうとするものとは何か。
それらの真実を、実態を知りたいと思う72歳の私です。

 何が正しく、間違っているかとの判断を決して急いではいけない!そんな声が私の中にいつも聞こえています。
人間が人間を信じる。この簡単な事が本当に難しい!
人間が「人間」でいられるのは「我」と共に「他」が側(かたわら)に居るから。
「他」の存在が「我」を生かす。そう思うように生きてきてしまった私(世代)との告白です。

 72年間を振り返っています。
そして来年からの人生を見つめます。
どのように生きるか。どのような気持ちでこの世を去るか。
確かなこととして、一つ言えます。
私の傍(かたわ)らには「他」との結晶としての「音楽」があると。
その結晶は温かく、優しく、そして魂を安らかに包み、生命を全うした幸福感に満ち、「他」との信頼の輪の中。
皆と繋がりたいですね。
平穏の中に繋がりたいです。
2022年も人と人とを結ぶ音楽を目指します。  





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