八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.191


【掲載:2022/5/01(日)】

音楽旅歩き 第191回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

音楽は全ての人に必要 心の救いであり生きているという証しです

  音楽は私たち人間にとって不可欠なもの、どの時代にあっても無くなった、ということはありません。
悲しい時でも、楽しい時でも、どんな感情を持ったとしても傍らにはその時の「音楽」はありました。
人類は言葉を持ったとき「人間」となったというのは真(まこと)でしょう。
しかしそれ以前にも音楽はありました。
私たちの祖先もいつ如何なる時でも音楽を持って楽しんでいたと想像します。
個人的で、誰に聴かせるでも無くつぶやいているようなものから、
祭祀の場、人々が集合した折には仲間と愉しみ、精神の高揚を誘う「音楽」があった筈です。

 スタイルは様々でしょう。民衆が即興的に生み出し奏したものから、産業となり「商業化」したものまで、音楽は変化し続けています。
ここのところ、演奏会が続いています。
京都での演奏会が終わるや、東京での演奏会が控えていてそのスケジュールの過密さで少し疲れ気味。
その演奏会がつい先達(せんだっ)て終わり、また昨日は大阪の本拠地での「マンスリー・コンサート」が終了。
今日は心身ともに「休みが欲しい!」と叫んでいます。
いつも書いていることですが、こんな時に思うことは溜め息を付きながら「何と平和に、充実した時間を過ごせているのだろう!」という幸せ感。
音を上げつつ、弱音を吐きつつ、この時の流れを感謝をもって次へとエネルギーを養う補給時とします。

 ロシアとウクライナの争いが一層残酷さを示しています。(現地から報道する記者たちの記述や声に暗さと疲れを感じ取ります)
どういった収束へと向かっているのか、誰も予想が付かない状態。
欧米が絡んで「世界大戦」、そして「核兵器」という言葉が現れ始め、現実感を帯びつつある現在です。
人間って「争う」のが好きですね。
言葉を変えれば「殺し合い」が好きなのでしょう。生物学的にみてもその性質は頷けます。
自然環境に生きる動物たちの生態を描いたドキュメントを観るのが好きです。
獣たちの生死をかけた残酷な様相も映し出されますが、見終わって思うに弱肉強食の中に生きる動物たちの姿に、感心し、納得し、
また地球環境にとって必要性が有るのを感じて感動、涙することさえあります。
この地球上でどの生物が強く、そして他を支配しているのか?

 人間!この動物が一番強い!全てを破壊する力を持ってしまった動物です。それも残酷極まりない行動で。
他の動物ならば「腹が一杯になれば狩をやめる」、必要なものだけ命を頂く。
しかし、人間は飽くなき欲を満たすためには殺戮を展開して同じ人間の息の根を止める。
同種が殺し合う!最も残酷で破壊的な行為である、とは想像出来ないのでしょうか。 残念ながら世界は歴史を見てもそれが続いている。
大小の差がありますが、行動そのものは変わりない。
闘いの場(戦場)では歌が聞こえているのでしょうか?
楽器を奏する音が聞こえているのでしょうか。
隠れている人々の心には「歌」が流れているのでしょうか。
居た堪れない気持ちでこれを書いています。





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