八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.192


【掲載:2022/5/29(日)】

音楽旅歩き 第192回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

音楽は「孤独」の産物 「孤独」を知ってこそ、人は幸福に近づく

  人間とは「孤独」である、深く思索すればするほど「孤独」は深まる。
人が体験し、世界が見えれば見えるほど人と人との距離が遠のく。
真実は人の数ほどあって、どれも当事者とすれば真実で、正当なものになってしまう。
しかし、ならば何故諍(いさか)いが起こり、断絶も起きるのか。
何故、皆が等しく幸福になれないのか?
「真」が幸福をつくり、「虚偽」が幸福を遠ざける、とは成らない?
「真」を求めるものの「孤独」は更に深まり、「信頼」も陽炎(かげろう)のように虚(うつ)ろ。

 真っ当に生きたいと思っています。
生きるもの全てと共にこの美しい地球で生命を輝かせたいと願い、息を吐きます。
先達ても名古屋でコンサートを開催しました。そのプログラムに掲載した「演奏にあたって」を転載します。
この時期の偽らざる私の思いが表されていて、後で読み返して私自身驚いています。

 『人の心の重さは計り知れない、と思う。この地球上で息をしている人類はなんと孤独であろうか、と推し量る。
「人類の歴史」を俯瞰(ふかん)し、地球上に拡がった人々の創り上げた文明の「縛り」は、一層人間を孤独へと追い遣る。
何ものかとの葛藤の中に、変動する大気の中に、動乱の中に、殺し合う戦(いくさ)の中に、人間は孤独を弥(いや)が上にも噛み締める。
「心」を持った時から「今を生きる」時に至っても、
そして未来へと続く路にあっても、人類は「人間」であることを苛(さいな)む。
人間の「存在の壁」を前にして吐露する魂の叫びは、時には静かに、
時には荒々しく絶叫となってこの世界の大気へと吐き出させる。
言葉は命。言葉が持つ苦悩を取り戻し、放ち、解放させよう!私が「音楽」にあるときいつもそのことに震えを覚えます。
この二年に渡って起こっている悪夢のような事態、そしてじわじわと真綿で首を絞めるように迫ってくる息苦しさ。
これまでになく味わう苦い軋轢、苦悩。
我々は今、世界が壊れてしまうかもしれない分岐点に立って生きているのかもしれません。
その混乱の最中にコンサートを開催する。
それは真に人間の心の解放を願うものであって欲しい、と私は強く思うのです。
先人が残した、人間で有るが故の葛藤の足跡。
その詩〔うた〕(言葉)に命を吹き込む作曲家。
そして演奏する者とが互いに共有する「孤独」、その対峙が此所にあります。
人の命は何よりも大切です。比べることのできない、それは無二の命!
沈黙、無音の中で大気の息遣いに身を委ね、私自身の命を重ねてみる。
今日の演奏が「生きたい」と願う思いのほとばしりであり、世界の全ての人々が幸福であって欲しいと願う心からの「真(まこと)の息吹」と成りますように!
この世界で命が軽んじられることが有りませんように。
明日へと続く命が生き生きと輝きますように。
その掛け替えのない心を作品を通して伝えられますよう、渾身の棒を振りたいと思います』

 「孤独」を知ってこそ、人は幸福に近づくのではないか。
今、その事が私にとって生きる実感です。





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