八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.193


【掲載:2022/6/12(日)】

音楽旅歩き 第193回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

再びラジオの魅力を語りたいです!

  このコラムの第157回(掲載:2020/06/07(日))でラジオの魅力について書いたのですが、
今回も新たにその必要性を感じて私見を述べてみたいと思いました。
まだまだ続く「テレビ」の時代。
若い層に〈テレビ離れ〉があって、かつて程視聴率は高くないと言われているのですが、それであっても主流の座は譲ってないと思われます。
バラエティやドラマが(古い時代のドラマが再放送されてもいます)よく観られているとは想像するのですが、
本来は報道・ニュースが最も魅力を発揮できる媒体だと思っています。
しかし、現在ではこの分野に「怪しさ」が付きまとっているようでどうも観ていて居心地が良くありません。
押しつけや一方的な論調、ニュースソースが偏っているとの指摘が多くなってきました。

 欧米諸国のように「報道」に関する考え方や業界の成り立ちが異なっているせいもあって、
我が国の歴史を辿れば報道の「質」に違いがあるのは仕方ないと判るのですが、
視聴する側があまりその事に気が付いていないようで「現状では致し方なし」と思ってしまいます。
報道にとって大切な事は「視点」と「相異なる論調を公正に伝える」ということだと思うのですが、はてさてそこまで至っているかどうかは疑問です。
新聞という媒体は活字ですから、思考するに相応しいと思われるのですが、
近年は活字離れもあって十分にはその力を発揮できずにいるのではないかと想像します。
テレビのように一過性であるのに対して、活字で伝える新聞はいつでも読み返すことができます。
紙面の制約があるかもしれませんが、テレビよりより多くの情報、そして論点も正確に示すことができる媒体であると私は思っています。
しかし「活字離れ」「新聞離れ」となっては・・・・・・。

 その現状の中で「ラジオ」の存在が大きくなってきているように思います。
映像がなく、声だけで伝える。パーソナリティの魅力に依るところが大きいでしょうが、テレビでは語れてない「言葉」が聴けます。
笑わせてもくれますし、感動的な語りに会うこともあります。
ニュースでは映像が入ってこない分、言葉に耳を傾ける集中力も違ってきます。
「語る」ということがこれほど人間にとって大切なものだったのかと、再認識させられることが多いです。
島にもラジオがあります。全国各地にも放送局が沢山存在します。
一日中音楽を流しているものもあれば、ご当地の生活に密着した話題を提供している局もあります。

 私が欠かさず毎日聴いているのは東京局の二つ。我が大阪のラジオ局は残念ながら聴く機会がありません。
宣伝になってしまいますが、インターネットでラジオが聴ける「radiko(らじこ)」というアプリでそれらを聴くことができます。
期間が限定されますが聴き逃した番組も後で聴けて便利です。
私の知る限り、公正な姿勢を貫いていると感じます。
幅広く、面白く、そして深く。ラジオの魅力が増しています。
是非一度聴取を。





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