八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.202


【掲載:2022/11/13(日)】

音楽旅歩き 第202回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

《命こそ宝》沖縄だからこその〈生きた言葉〉です

 70歳代に入って人生の節目、そして体調の変化を感じます。
振り返ると、40歳、50歳、60歳の各前後2年間に起こった変化が現在にも現れている、ということをしみじみと感じます。
幸いにも仕事である活動の評価は変わりないようですが、如何せん体の衰えは確かに進行していっているみたいですね。
医者からは同年代に比べ、筋力・体力は若い、とは言われていますし、私自身もそのように思うのですが、
疲れやそれからの回復力といったものでは確かに若い時のようにはいかないと日々感じます。

 40歳代が人生の大きな転換期でした。コンピュータにはまり、少し経てば〈プログラミング〉も始めていました。
またスキーやダイビングも初挑戦。家からあまり出ることの無かった私がいきなり外へと勢いよく出掛ける。
突き詰める性格ですから、一旦始めると「とことん極めたい!」と出掛ける回数、遠出も惜しみなく進めます。
音楽も、人生も最も活動的な年代の始まりでした。

 50歳代からは体の変化が顕著。
それまで大病なし、風邪など、物ともせずで一度も病院には行ったことがないという私。
それが周りのからの助言もあって「人間ドック」を受けてからが変わります。
それまでの飲食、睡眠等不規則な毎日が祟(たた)ってか生活習慣病(糖尿病・高血圧)が発覚。
胆石も見つかってその後、死ぬかとおもうほどの激痛も味わいましたがいつの間にか消滅。
その辺(あた)りから色々と体の不調が顕わになっていきます。
一番困ったのは「心的ストレス」を意識するようになった事です。
しかし、これは私の対人に関してのストレス反応ですから上手く付き合うしかありません。
良くも悪くも受け入れていく、そんな心境です。

 ある原因によってストレス反応が顕著に表れたのは8年ほど前からのこと。
我が国の政治の舵取りが大きく変化したときです。
多くの方々がその政治の動きに期待したのでしょうが、私にはそれまでにない「不安感」が起こっていました。
今年、問題の根っこがそこかしこで実証され、表面化し、あの時の私の不安感がそう的外れではなかったことが解ることとなり、少し救われる思いがしています。
不安といえば近隣国との関係が危惧されています。が、あの時ような不安感は何故か私にはありません。
もし、もしも、とんでもない事が例えば一人の人間によって起こるならば世界中の人間が反応します。
世界が壊れないように動きます。
人間ってそんなに愚かでは無いと信じているからでしょうか、もう二度と地獄のような戦禍を経験したくないという知恵が大きく働いて、多くの人々の心が動くと思うのです。

 《命こそ宝》、思想や生き方の価値観が異なっても「尊ばれない、意味のない死」など有るわけはありません。
命を粗末にしない。命こそが尊い一番大事な宝。沖縄だからこその〈生きた言葉〉です。

 〈残りの命〉とどう付き合うか。私の身体(心も肉体も)は音楽に依って生かされ、育まれました。
長いか短いか?これからも音楽家としての命を全うします。





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